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171件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2018-02-27 第196回国会 参議院 議院運営委員会 第7号

参考人立花宏君) 先ほど足立先生の方からも御指摘、冒頭の中でございましたけれども、私自身経団連土光会長に、会長時代、本当に事務方の端っこでいろいろどなられ叱られ鍛えられたわけですけれども土光さんが非常に強調していましたのは、現場力といいましょうか、現場の力といいましょうか、やはり大手町というかああいう、デスクで新聞を見て、人の話を聞いて、見聞きすると、これはこれでもちろん大事ですけれども

立花宏

2016-02-29 第190回国会 衆議院 財務金融委員会 第9号

まず経団連土光会長、日経連桜田武会長日本商工会議所会頭永野重雄さん、経済同友会代表幹事佐々木直さん、そういう財界の首脳が、それこそこぞって、当時の三木首相、それから自民党幹事長中曽根さんでしたけれども、そこへ直接、赤字国債の発行に踏み切るべきだ、そういう圧力をかけたということがあります。これを受けて、中曽根幹事長は愛される国債にしたいと言ったということが新聞で報じられております。  

安藤実

2011-02-21 第177回国会 衆議院 予算委員会 第15号

のところ当初は自信がなかったんですが、市川先生選挙をやってみて、そのときは、一九七一年に一度落選されて三年、もう引退しようかとされていたわけですが、それを当時の、私もまだ二十代でしたが、そういう若者が支えて当選させて、その直後に市川先生経団連に対して、当時自民党経団連から直接多額の献金が行われていた、まさに大企業献金が当たり前のごとく行われていたことに対して、それをやめなさいといって、当時の土光会長

菅直人

2011-02-21 第177回国会 衆議院 予算委員会 第15号

私も、先ほど三十年、四十年と申し上げたのは、今御指摘にあった、市川房枝先生選挙の直後に、市川さんが最初経団連に乗り込んだテーマが企業献金の禁止でありまして、一たんは、当時の土光会長経団連が扱う企業献金自民党への献金はやめるということを約束し、そこからまたいろいろな展開が始まったことを私もよく覚えております。  

菅直人

2010-06-11 第174回国会 参議院 本会議 第27号

そして当選直後、市川先生青島幸男さんとともに経団連土光会長を訪ね、経団連による企業献金あっせんを中止する約束を取り付けたのです。この約束はその後骨抜きになってしまいましたが、まさに本年、経団連企業献金への組織的関与廃止を決めました。一票の力が政治を変える、当時の強烈な体験が私の政治原点であります。政治国民の力で変えられる、この信念を胸に、与えられた責任を全うしていきます。  

菅直人

2010-06-11 第174回国会 衆議院 本会議 第35号

そして、当選直後、市川先生は、青島幸男さんとともに経団連土光会長を訪ね、経団連による企業献金あっせんを中止する約束を取りつけられたのです。この約束はその後骨抜きになってしまいましたが、まさに本年、経団連企業献金への組織的関与廃止を決めました。  一票の力が政治を変える、当時の強烈な体験が私の政治原点となりました。

菅直人

2005-07-04 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第23号

ここで言う正しい競争という言葉でございますが、これは、協調しながら競争して、土光会長がかつておっしゃられたように、社会の公器として国民のために切磋琢磨するということが競争ということの本質でございます。ですから、経済学が教える競争というのは、弱肉強食というような短絡的な考え方とは全く違っております。

跡田直澄

1997-03-28 第140回国会 参議院 本会議 第14号

かつて国民に親しまれ敬愛された第二臨調土光会長は、今ここで行革ができなければ二十一世紀に生きる人々が苦しむだけですと言って国家国民のために尽力された熱い思いを忘れずに、鉄は熱いうちに打てと言われるように、総理が先頭に立って改革ののろしを打ち上げ、次々と具体化を進めていく姿は、国民希望と期待を抱かせるものであると私は確信するものであります。  

田沢智治

1997-03-06 第140回国会 参議院 予算委員会 第4号

特に臨調ということになりますと、私たち多くの国民土光臨調という意味では、土光会長が今ここで改革ができなければ二十一世紀に生きる人々が苦しむだけだと言われて、当時、赤字が累増している国鉄を含む三公社の民営化の実現の基礎づくりをして大きな成果を上げたということは国民の周知しているところであります。  当時、橋本総理自民党行財政調査会長として行革に並々ならぬ熱意を示されておった。

田沢智治

1997-02-13 第140回国会 衆議院 予算委員会 第12号

行財政改革基礎を築いた土光会長が六十一年の第一次行革審最終報告で、今ここで行財政改革をあきらめるならば、これまでの努力は水泡に帰し、行財政は再び肥大化の道をたどり、ようやくほの見えてきた明るい希望も消え去るでありましょう、私はこのことが心配でならないのですと言明しております。  

望月義夫

1994-10-31 第131回国会 参議院 厚生委員会 第5号

ところで、この改正案のルーツというのは八一年の土光会長臨時行政調査会答申です。そこではこのようにはっきりと言っています。年金の部分を読み上げてみますと、「各種公的年金制度については、その長期的安定を確保するため、制度間の均衡を図りつつ、老齢年金支給開始年齢段階的引上げ等給付内容と水準を基本的に見直し、保険料を段階的に引き上げる等、年金制度の抜本的な改正を検討し、早急な実施を図る。」

西山登紀子

1994-01-07 第128回国会 参議院 政治改革に関する特別委員会 第8号

昭和五十六年の一月だったと記憶しておりますけれども、当時の経団連土光会長が何の前ぶれもなく鈴木知事を突然訪ねられました。いわく、自分は鈴木善幸総理から臨調会長就任を要請された、その具体的な承諾をする前に鈴木知事に本日は教えを請いに参りました、こんな話でありました。それは、あの未曾有の都財政の再建をスムーズに行っておられる鈴木知事考え方についてお伺いしたい、こんな話でありました。

続訓弘

1992-03-26 第123回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

それから、今度は我々地方から言う分でございますが、まず地方から言う分はどういうことになるかというと、最近いろいろなものが書かれておりますが、一番大事なものは何かというと、今まで私たちがもう昭和の初めごろから地方に権限を渡してください、事務事業の再配分を地方にやってください、あるいは臨調土光会長はイワシを食べながら貧しい生活をして、おれは行政改革に生命をかけてやると言ったんですけれども、あの土光さんの

滝井義高

1991-04-25 第120回国会 参議院 内閣委員会 第8号

小川仁一君 とにかく、土光会長以来ずっと行革審を見ておりましたが、ちょっとニュアンスといいますか、物の言い方の内容その他違うようでございますから、この点は受けとめる方でもしっかり受けとめていただきたいと思います。  さて、きょう議題となっております整理合理化法案についてですが、これは十省庁三十四の法律でございます。

小川仁一

1990-06-21 第118回国会 参議院 内閣委員会 第10号

だから国民に、行革の路線じゃないけれども自主自立ですか、何でも国民に一生懸命やれと一番最初土光会長がめざしを食べて、財界のトップでさえめざしを食べて我慢しているんだから国民も少しは我慢しようじゃないかと自立自助の方針出してきた。こういう思想がこういうものにもつながっている。私は行政改革というものはこんなところにまであらわれているのかなとびっくりした。

山口哲夫

1990-06-21 第118回国会 参議院 内閣委員会 第10号

行革国民の理解と支持がなければ実現できないと強く主張された故土光会長のお言葉が大変に印象的であります。土光会長の葬儀の際に数万人に及ぶ一般市民が参列したことがこれを雄弁に物語っているというふうに考えております。  それで、まず土光臨調以来九年間の行政改革成果はどうなっているのか、ちょっとお伺いしたいと思います。

田村秀昭

1989-06-16 第114回国会 参議院 逓信委員会 第4号

政府委員白井太君) 私ども簡易保険事業では、簡易保険事業団を通じまして、保養センターでありますとかレクリエーションセンター、あるいは加入者ホームなどの、私ども加入者福祉施設と呼んでおりまして、そういう施設の設置や運営を行っておるわけでありますけれども、特にこの保養センター、レクセンターなどの問題につきましては、先生十分御存じのことでございますけれども土光会長臨時行政調査会が五十八年の最終答申

白井太

1988-08-04 第113回国会 衆議院 予算委員会 第1号

土光会長きょうお亡くなりになったわけですが、あの人が私ども行革のときにおっしゃったのは、まず糧道を断って初めて物事が進むのだ、それがありましたから、あの当時の矢野書記長にたびたび提出しろと言われて出しました仮定計算、あの当時のものをずっと計算しますと、十二兆一千億ぐらいやはり削減合理化をしたごとになるのです。

竹下登